2014/12/09

エリトリア

旅行時期:2004/12-2005/1

ジブチから陸路国境を渡って到着した街アッサブから、首都アスマラまで直通のバスに乗って、意気揚々としていたら、途中検問で、「パーミッションはないのか!」っと叩き降ろされてしまいました。次のバスは翌々日。何もないアッサブの街で日がなお茶そして過ごしました。それでも声を掛けてくれる人々はとても親切で、しみじみと旅情を楽しみました。

今回の旅、ソマリアジブチから、どうやってエリトリアに行けばいいのか、確かな情報はほとんどなく、どうなるんだろうって不安がいっぱいでした。そんな気持ちで旅して、ようやく到着した最終目的国エリトリア。最終目的地、エリトリアの首都アスマラまでもう一息だ。アッサブに到着した朝、バス乗り場前の青空喫茶店で、翌朝のアスマラ行きのバスの切符売りを発見。キップを購入。バスの出発時間を尋ねると明日の朝3時だと言う。何度も聞き返した。朝早すぎるよ。エチオピアでは朝5時だの6時だのの出発が多く、やれやれって思ってたのに、ここエリトリアではさらに早い。それでもバスに乗っちゃえば、アスマラに連れてってくれるんならま、よいでしょう。朝3時なんて中途半端なので、宿はとらず、バスで寝かせてもらいました。

で、翌朝3時バスは出発。1時間ほど走った検問で、外国人の我々はパスポートチェックを受ける。「パーミッションはないのか?」「ない。必要なのか?何とか通してもらえないか??」結果はNG(涙)。バス代も帰らず。夜明けまで、検問所でぼーっと待って、若造に連れられて、街へと帰る。車で1時間のところからだから、かなり歩かされた。ひと歩きすると、ミリタリ施設があり、そこで先導者が交代、人から人に渡されて、アッサブの街まで帰り、ここでパーミッションが取れるからとさんざん待たされては、ここでは出せない、あっちへ行け、こっちへ行けと、建物を転々と歩かされ、丸1日かかって、ようやくパーミッションをゲット。はー疲れた。次のアスマラ行きのバスはあさってだそうだ。少し休もう。宿で事情を話すと、ディスカウントしてくれました。ありがとう、エリトリアに人って親切なんですね。

アッサブ、何もすることがないんです。次のバスが出るまで、青空喫茶でお茶しながら行きかう人を眺めたりしながら、ただただぼーっと過ごしました。もはやこれが得意技です。宿にはイエメン人がいて、「ここからイエメンまで船だと数時間で着くよ。一緒に来ないか。飛行機でアスマラからイエメンに行くより早いしずっと安いよ」と誘われたんですが、、ここまで来て、最終目的地のアスマラを見ずして旅を終えるわけにはいかない。再びアスマラ行きのバスに乗り込みました。再度同じ検問、どきどきしながらパーミッションを見せると、今度は問題なし。バスは紅海に沿って北上、砂漠の中の道を走り、廃墟の街から廃墟の街へとたどっていく。ミシュランの地図上では丸で書かれている街なんだけど、砂の上に数件のほったて小屋があるだけの、街というより集落ばかり。同じ地図上の丸で表現されていても、日本の町とはあまりにも違う。そんなことも考えました。

「アスマラは最高だよ。美しい町だよ」バスの中で散々きかされて、期待に胸膨らませて。朝4時過ぎ出発したバスは途中一泊して翌午前中アスマラに到着。なるほど、アッサブとは比べ物にならない、立派な首都ですね。モスクや教会周辺、マーケットなど散策を楽しませていただきました。

アスマラの中心地には、かつてイタリア領時代の名残で、小洒落たペイストリーやピザ屋がたくさんあります。アジス他エチオピアの街にも多いですね。まんおじして、アフリカ名物アスマラのペイストリーに行きましたよ。

中心街はオシャレな感じのアスマラですが、マーケットのお土産やは結構素朴でしたね。いわゆるツーリストなんてまだまだ滅多に来ないのでしょう。ツボやらほうきなどが多く、周辺の町や国からやってきた人向けのお土産やばかりでした。でも、それはそれで素朴で楽しかったです。

アスマラからはイエメニア航空でサナアへ。アフリカの角、エチオピア、ソマリランドジブチ、エリトリアと陸路での旅もおしまいです。思ったより大変だった。でも振り返ると、、今となっては思い出深い旅でした。
アッサブからエリトリアへ向かうバス
アスマラのモスク



アスマラのペイストリ
アスマラのマーケットのおばあさん















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